AID Blog
大雪に人情の温もり
1月9日の朝日新聞のトップに、大みそかから元旦にかけての大雪で、日本海を望む鳥取県琴浦町の国道で、約25キロ、車一千台が立ち往生した時の沿道住民の対応ぶりの記事が載っていました。
祇園さんという看板工房を営む79才の男性は、夜も明けきらぬ早朝、ひざ上までの雪の中
「すいませんトイレを貸してもらえませんか」という、すがるような女性の訪問で、全く動かない見たことも無い長い車列を知る。
「こらぁ大変だ」仕事場のトイレをみんなに使ってもらおうと即決!
すぐさま1メートル四方のベニヤ板に「トイレ→」と赤テープで大書した看板をつくり、国道脇と自宅前に立てかけると、次々と人がやってきた。赤ちゃん連れの女性にはミルク用のお湯や毛布も手渡したという。
又、パン屋を営む小谷さん35才は、入っている消防団からの電話で起こされるや、国道に出て1台ずつ窓をノックして安否を気づかいつつ
「ありったけの米を炊け!」と自宅に電話、公民館から大きな釜2つを借り、自宅の一俵半の米を全部炊き上げ、近所の女性を役場に集め、おにぎりをつくり、できる端から、汗だくになりながら、夕方までかけて配り終えたという。
又、国道沿いでまんじゅう店を営む山本さんは、店中のまんじゅう1200個を1日がかりで配った。
日が落ちてからも、首に懐中電灯を下げ、「バナナいりませんか」と声を掛けて歩いた人は神戸市からの帰省中で、16年前、阪神大震災で避難所で1ヶ月暮らし、ボランティアに励まされたから
「今、自分だけが、ぬくぬくとはでけへん」とポツリと言ったそうです。
私は記事を読むうちに、胸が熱くなり「日本も捨てたもんやないな」とつぶやきながら目頭がうるんでしまいました。
琴浦町という土地柄は、昔から難破した船が浜に漂着するたびに、地元の人が総出で船員を助けたそうです。
読み終えて、この記事が、朝日新聞、第一面のトップ記事として載ったことに私は、新年の澄み切った青空のような、うれしさを感じていました
Takatsuka
2011年1月11日火曜日